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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)1180号 判決

主文

被告は原告に対し金十五万三千円を支払うこと。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担としその余を被告の負担とする。

この判決は、原告に於て、金三万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

先ず原告と被告との間に婚姻の予約があつたかどうかについて判断する。原被告間に情交関係があつたこと(日時及び期間を除く)、及び原告が昭和二十三年十月十八日女児真佐美を分娩し、同女が原告と被告との間の子であつたことは当事者間に争なく、右事実と成立に争のない甲第四、五号証、同第八号証及び同第十四号証、証人久保ミネの証言及び原告本人の供述並に被告本人の供述の一部を綜合すれば、原被告は同村且つ近隣で成長し所謂幼馴染の間柄であつたが、原告が十八歳の頃から被告と交際を初め、互に熱愛するようになり、延いては将来結婚すべきことを相誓い、昭和二十年八月頃遂に情交関係を結ぶに至り爾来これを継続していたこと、その結果原告は姙娠するに至り、原告の母は原告から被告との交情を聞知し被告にその措置を詰問したところ、被告は原告とは必ず結婚するが父の気嫌のよいときを見て承諾を得るから三年位待つて欲しい旨を言明したこと、又原告の母は原告の父の激怒をおそれ原告に堕胎させるかどうかを被告に尋ねたところ、被告は原告との結婚を誓いこれを止め、出生児の養育を依頼したこと、よつて原告はタミ分娩にあたつても木下助産婦に対し出生児の父親は被告であることを公言し、産褥にも被告を呼寄せたこと、及びタミ出生後に於いても被告は原告と結婚することを誓つていたので、原告も亦固くこれを信じ且つ被告以外の男性と結婚する意思は毛頭なく当時あつた他の縁談をも斥け、只管被告との結婚を期待し、その後も事実上の夫婦関係を続けていたことが認められる。被告本人の供述中これに反する部分は前示証拠に照らしてこれを信用せず、その他被告の全立証によつてもこれを覆えすに足る証拠がない。

右の事実によれば、原被告は幼馴染の交際から恋愛に発展し、互に将来結婚すべきことを相誓い、爾来約四年間に亘り同棲こそしなかつたが事実上の夫婦関係を続け、その間一児を挙げるに至つたものであつて、両者間の関係は婚姻予約成立の段階にあつたものと解すべきであり、一時的享楽にすぎない私通関係と見ることができない。

被告は婚姻予約がなかつた理由として、被告が昭和二十三年三月二十一日原告と情交をする際子供ができたらどうするかをきくと、原告はその時は自分で処理し被告に迷惑をかけないことを約したことがある旨主張し、被告本人は同旨の供述をするが右供述は信用することができず他にこれを認むべき証拠がない。又被告は、被告が訴外田中春子と結婚式を挙げるにあたつては、原告に於ても事前にこれを了知すべき事情にありながら、原告からこれについて何等の抗議がなかつた旨主張するが、原告本人の供述によれば、原告は右事実を全然知らず挙式の当日に至つて始めてこれを知り驚きのあまり生存の希望を失い入水自殺を企てたことが認められるので、右事実は婚姻予約不成立の証左とはならない。なお、被告は婚姻予約ありとするには結婚式を挙げるとか親族に披露するとかの外形的事実の存在を必要とすると主張する。勿論通常の場合結納の授受、挙式及び披露等を経るのが常態ではあるが、法律上の婚姻に於ても必ずしもかかる行事を必要とせず、両性の合意のみに基いて成立し、戸籍法の定めるところによりこれを届け出ることによつてその効力を生ずるものであるから、婚姻予約もこれに準じ、当事者が真に婚姻する意思を有し且つこれを約することによつて成立するものと解すべきである。よつて前示のような行事が行われていない本件に於ても前段の認定を妨げるものではないから、右主張も亦理由がない。

而して、被告が昭和二十四年十二月十五日訴外田中春子と結婚式を挙げ、次で同二十六年四月二十日その届出を了したことは被告の認めて争わないところであるから、原被告間の婚姻予約は履行不能となり茲に終了するに至つたものといわなければならない。

そこで、右婚姻予約不履行が被告の責に帰すべきものかどうかについて考えを進める。被告は、原告はかねてから原告の弟の家庭教師某や市原某巡査と親交があり、又原告が姙娠中被告や原告の徒妹久保トキに対し胎児は被告の子であることを強く否定した事実がありこれが不履行の正当事由に該当する旨主張し、成立に争のない乙第一号証乃至第三号証の久保トキ、久保秀一及び井上信一の供述記載及び証人西岡清作、井上信一、被告本人の供述中右に適合する部分があるが、久保トキ、久保秀一の供述記載及び被告本人の供述中の右部分は後記原告本人の供述に対比してこれを措信せず、爾余の供述記載及び証言はいずれも伝聞に属するものか又は単なる想像にすぎないものであるからこれも亦当裁判所の採用しないところである。却つて原告本人の供述によれば、原告は被告以外の男性と肉体的交渉を持つたことがなく、胎児が被告の子であることを否定したこともないことが認められる。しかし、弁論の全趣旨に徴すれば、かかる風評のあつたことはこれを否定することができないから、被告がかかる風評を信じたであろうことは容易に考えられるが、前示のように約四年間に亘つて原告と夫婦関係があり、且つ一児を挙げているような深い関係にあるものとして、その風評の真偽を深く究明することなくしてこれを軽信することは軽卒の譏を免れず、これを以て直ちに右婚姻予約不履行の正当事由とすることはできない。又被告は、原告の妊娠について原告方から被告方に何等の協議をも求めなかつたこと、真佐美が月足らず児であつたこと及びその出生後同女を原告の長兄釈幸治郎の子として届出があつたことをも正当事由に挙げるが、これ自体婚姻予約不履行の正当事由とならないものと解するから右主張はいずれも理由がない。以上の外右婚姻予約不履行について正当の事由があつたことは被告に於て主張立証しないところであるから、右不履行は被告の責に帰すべきものと解せざるを得ない。

而して、右不履行により原告は生存の希望さえ失い入水自殺を企てたことは前段認定の通りであり、原告がこれにより甚大の苦痛を蒙つたことは多言を要しないところであるから、被告はこれを慰藉するため相当の金員を支払うべき義務があるものといわなければならない。

次に、原告は右タミが昭和二十六年九月二十五日被告に対し大阪地方裁判所に認知の訴を提起したところ、被告は故意にタミが被告の子であることを争い、事実に反する主張をして原告を侮辱し、原告に忍び難い精神上の苦痛を蒙らしめたから、被告はこれに対しても亦慰藉料を支払うべき義務がある旨主張するので按ずるに、右訴訟が提起されたこと及び被告が右訴訟に於てタミが被告の子であることを争つたことは被告の認めて争わないところである。しかし、およそ父と子の関係は事実上及び法律上重大な効果を生ずるものであるから、民法は婚姻中の夫婦間に於ても、夫は妻の分娩した子について疑があれば、嫡出子否認の訴を提起してその確定を求めることができることを規定している。従つて未だ婚姻をしていない男子が他女の分娩した子から認知の訴を提起された場合、他女との間に婚姻予約があつたかどうかは別として、その子に疑があれば極力争うことは当然のこととしなければならない。これを本件について見るに、前段認定のように原告が被告以外の男性と肉体的交渉を持たなかつたことはこれを推認し得るが、原告の品行についての風評が流布されていたことは事実であるから、被告が右訴訟に於てタミを被告の子でないとして争つたことはむしろ当然の措置であり、且つこれについて被告に故意過失があつたことは原告の全立証によつてもこれを認めることができないから、右所為は何等の不法行為を構成しないものといわなければならない。よつて右行為が不法行為を構成することを前提とする右主張は到底排斥を免れない。

よつて進んで右婚姻予約不履行に対する慰藉料の額について考えるに、原告が高等女学校を、被告が浪速商業学校をそれぞれ卒業の学歴を有することは当事者間に争がなく、証人橋本正雄の証言によつて真正に成立したものと認むべき甲第十三号証、証人東方一雄、橋本正雄及び井上信一の各証言並に原被告双方本人の供述を綜合すれば、原告の父は田畑一町余、山林四町を所有して農業を営み、原告の兄は製材業を経営して居町に於ては中流以上の家庭であり、一方被告の父は田畑一町余及び山林その他の資産を有して農業を営み、村会議員、町会議員及びその他の名誉職を歴任し居町上位の資産家であることが認められ、これと前段認定の本件婚姻予約不履行の経緯並に原告が両親等に相談して速かに被告方に正式の結婚申入をすることなく被告にのみ信頼して簡単に貞操を許し、爾来約四年間に亘つて性交渉を続けたことについては原告も亦軽卒の譏を免れず、又原告が居町に於て被告以外の男性と交渉あるやの風評を立てられるに至つたことは原告の不徳の致すところでもあり、一部の責は原告に於てもこれを負わなければならない等の諸般の事情を勘案して慰藉料の額は金十万円を以て相当であると認める。

次に、養育料の償還請求について按ずるに、タミが昭和二十三年十月十八日出生し、被告が同二十八年三月十九日同女を認知したことは当事者間に争がないから、その認知はタミ出生の時にさかのぼつてその効力を生ずることは民法第七百八十四条によつて明らかである。そうすると、原被告は共に同順位に於て真佐美養育の責を負うべかりしものであるから、その費用は両者の資力に応じた平等負担をするのがたてまえであると解すべきところ弁論の全趣旨によれば両者共に両親の世帯に属し未だ特段の資産収入がないことが認められるから、右費用は各自二分の一を負担すべきものといわなければならない。

被告は、扶養権利者はタミであるからその養育料は原告から請求し得ないし、又被告はタミの養育を依頼したことがなく且つ費用支出について被告の同意を得なかつたから、被告は原告に対しタミの養育料支払義務がない旨抗争するが、原告の本件養育料の請求は、タミ認知後の将来の扶養料を請求するのでなく認知前に原告が支出した養育料の償還を求めるものであることは原告の主張によつて明らかであるから、養育依頼及び支出同意の有無にかかわらず右説示の範囲内に於て原告は被告に対しその既出養育料の償還を求め得べく、被告はこれを支払うべき義務があるから、右抗弁はいずれも採用に値しない。

よつて、原告請求額の当否について審究するに、原告本人は右タミの養育料として同女出生から認知に至る迄平均一ケ月金四千円を支出した旨供述するが、前段認定の原告方の資産、生活程度及び弁論の全趣旨殊に母子双方の健康状態並に世上一般の事例等に徴し右金額の支出があつたものとは認め難いが、一ケ月平均金二千円の支出があつたことはこれを推認し得べく、これを覆えす証拠がない。そうすると、右説示のように被告はその二分の一である一ケ月金千円を負担すべきであるから、昭和二十三年十月十八日から同二十八年三月十九日迄五十三ケ月分(原告はこの期間を六十五ケ月と計算するがこれは誤算と認める)合計金五万三千円を原告に償還すべき義務があるものといわなければならない。

以上の認定によると、被告は原告に対し右慰藉料金十万円及び養育料償還金五万三千円合計金十五万三千円の支払をすべき義務があるから、原告の本訴請求は以上の限度に於て正当としてこれを認容し、爾余の請求は失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 坪井三郎)

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